セクシュアリティとか色々模索中の大学生。目標は「自由」になること。何から?
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2012-04-28 Sat 12:21
お久しぶりです。
最近はブログを必要としない日々を過ごしていました。 今は、就職活動をしています。 学生時代を通して、ブログを書いてこなかった気持ちとか 今からでも書けることがあったら少しでも書き残しておくべき何じゃないかと思って いまふと久しぶりに記事を書こうと思いました。 アクセスカウンターをみる限り、ときどき誰か来てくれているみたいだし。 就職活動の葛藤みたいなものもないわけではなくて それも書いてみたいと思います。 大学に入って「実名の自分」と「ここで発言している自分≒not heterosexualな自分」との 垣根がなくなった瞬間にそこにはもう恐怖しか残っていなくて それを払拭するのにもう丸3年ほどかかってしまったともいえます。 詳しくはまた書こうと思います。 「匿名性」と「実名性」の限界も見え隠れしていますが 今日はこの辺で。 とにかく、今は就職活動をがんばりまする。 |
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2010-04-19 Mon 01:57
最近、自分のことを話せない日が続いていた。 セクシュアリティを偽らなくても良い場所にもいくつか属していたというのに 自分の話は全くできない日が続いていた。 自分のセクシュアリティに関する話だけじゃなくて 他愛のない話の中でも今自分が思ったこととか 居酒屋でご飯の時も「ちょっとポテト取ってもらえませんか?」も言えなくなっていた。 まぁ、もとからお話しすることはそんなに得意な訳じゃなかったのかもしれないけれど。 でも、昨日、どうしても逃げられない状況になって 自分の話をしないといけなくなった。 無理矢理でも聞いてもらって良かったと思う。 自分のミソジニーはどこからくるのか。 自分のレスボフォビアはどこからくるのか。 自分のことをレズビアンだと思っているのか。 そんななかで、自分は中学から高校時代を ネットの中でチャットをしたり、このブログを書いたりすることにより 自分の中の混乱を言語化して、それによって自分のものじゃなくして 生き延びてきたことを確認した。 しかし、それは自分の問題をネットの自分に背負わせて逃げてきただけでもあった。 今回、自分のミソジニーについてやレズビアンかどうかということについても 実際にはずいぶん前にこのブログで答えを出したことであったのに 自分の口から説明することにはためらい以外の何もなかった。 つまり、自分の体験を言語化して自分から分離させることで生き延びてきたが その体験ごとネットの自分のものにして言語化してきたため リアルの自分にとってはその体験すら無視してきたものだったのだと思う。 だからこそ、見たくない、思い出したくないことを言語化するプロセスは 結構大変だった。 最近、授業でジェンダーがタイトルにある授業をとることが増えてきた。 同じ授業を受けている友達にはサークルの人、英語のクラスメート、 LGBTコミュニティで会った人たちなど、知っている人がとても多くいて 挙げ句の果てには私のことを呼ぶ呼び名さえ違う。 そんな中で、授業中のディスカッションで下手な発言をするのではないかなどという 恐怖で授業では沈黙を守るしかない日々が続いている。 例えば「別にそうじゃないゲイだっているよ」とか言おうものなら 何故、ゲイの友達がそんなに多くいるのだろうってなるだろうし 別に発言したところで私が非異性愛者である可能性に 周囲は気がつかないかも知れないけれど なによりもその可能性が怖い。 この一年は恐怖に沈黙し、その事実からも目を背け ジェンダーやセクシュアリティ全般のことを全く考えないようにして 生きてきた。 幸か不幸か大学は制服もなく、「女」であることによって何かを強制させられることも あまり感じなかった(高校時代に感じたかどうかはまた別の話) ため、曖昧な思考停止状態でも生きながらえることができた。 むしろ、曖昧な思考停止状態じゃないとクローゼットはジェンダーのクラスで 生き延びられなかったのかもしれない。 でもそれは同時に自分を殺すことであり、それではやはり意味はないということ。 そればかりかそれは「対症療法」でしかないらしい。 「根本治癒」は自分の問題と向かい合って、自分をギタギタに傷つけた向こうに 見えるものかもしれない。 何かが見える前に死ぬかも知れないけど、そうやって生きるしかないんだなって思った。 自分は今まで、自分の問題をネットの自分に託して生きてきた。 それでも、ギリギリだったし、このブログをやっていなかったら 死んでいたかも知れない。 でも、自分で自分の話さえ出来ない現状は生きていても死んでいる。 自分は生きていたい。 実際には何をすればいいのか実は全く見えていない。 ミソジニーやレズビアンであることについて考えるのは 時間をかけてことあるごとに考え続ければ良いだけの話で それは今までもやってきたことだ(ここ一年ほどご無沙汰ですが) でも、どうやって授業を思考停止にならずに サバイブするのかっていうのはちょっと色々やってみないと答えはでなさそうで 少し困っている。でも、授業でカミングアウトして回るのは不可能だと思っている。 しかし、クローゼットの限界も感じてはいる。 とはいえ自分でさえ認められていないことを 他の人にどうやって言って回るのかっていうのが問題。 でも、昨日自分のこと(性自認等)を知らない相手を友達と言えるのかと 言われてしまったので、確かにそれもそうで… 実は東京で一人だけかまをかけられて、バレた人がいるのだけれども それでも、世の中は色を変えなかったので、所詮そんなものかもしれないとかも思う。 少なくとも思考しろ。自分。生きろ。 考えないなんて死んでる。 今、一つ方法を思いついた。 自分のブログをもう一度読もう。 過去の自分が書いたものなど痛くて読めないけれど リアルの自分と体験との距離を改めてとろう。 |
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2010-03-25 Thu 00:47
03/07にコメントをくださった方へ コメントありがとうございます。お返事遅くなってすみません。 このブログを最初から読んだんですか… 赤面以外の何でもないですー 自分でも痛すぎてなかなか読み返せないのに。 確かにセクシュアリティのことを知れば知るほど何かに がんじがらめにされるような気がすることもあります。 LGBTのコミュニティに出入りして、友達ができても その友達は大学のことや自分の身近なことは知らないために なかなか自分のことを話すことができないということは 今でも多いです。 それでも、大学にオープンな人が多かったり 大学内のコミュニティも恐らく他の大学よりもしっかりと 存在していたりしているので、自分は恵まれているのではないかとも 思います。もっとも学生数が少ない学校でコミュニティがしっかりしていることの 難しさも同時に存在しているのですがね… このブログはそうはっきりしたことも書けないのですが (特定されることが怖い) ゆっくり更新していこうと思うのでよろしくお願いしますね。 |
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2010-03-25 Thu 00:35
mixiで大学のコミュを見ていたら(入ってはいない) 某大学でセクシュアリティ研究をしたい子を見つけてしまった… ん……もしかしてーこのブログ見てたりしないかなー そう、受験に湯たんぽ持っていった君だよ!! 某大学の入試は半袖で受けてもいいくらいだけどね。 某大学でセクシュアリティ研究したい子なんて もう無条件で応援したいのです。 なんか、自分が高校生だったときのことを思い出す… ほんで切なくなる。 でもなんかプロフィールによるとその子は今年、某大学を落ちちゃって仮面をするらしい。 仮面がんばれー てか、自分のmixiのアカウントはそれ見ただけじゃ絶対解らないように なってるので…あしあとで追いかけないでください… っていうかもしかしたらメッセを送ってしまうかも知れない。うっかりだ… 自分も勉強がんばらねばって春休みの腐った脳みそで思う。 ひとまずフェミニズムを勉強することは避けて通れない気がする。 まだジェンダー系の授業はひとつしか取れてないし そもそもジェンダーと名が付いた授業はそんなに数はないし 自分で勉強しないと駄目なんだけど… まずDSを捨てて図書館に行きます。 ただいま帰省中です。 でもフェミニズムって少し苦手なのであります。 確実にそこには"女"が存在する。 明日早起き(これは午前中を意味する)して図書館に行く計画を たてたらそれだけで少し元気になれた気がします。 ん…別にそんなに悩んでる訳じゃないんだけども 自分の中でぐちぐちするのが好きなのですねー ということで完全昼夜逆転を治す方向でw そういえば今度このブログを書くきっかけになった 先輩とお茶をしますー こういう関係も悪くないのであります。 |
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2010-02-23 Tue 04:41
はーい。ファイナルの季節ですよー うちの大学は三学期制なので今が期末テストです。 そして何故かファイナルとか呼びます。 なんか最近ルー語が堪能になりました。 学校では一年生が必修の鬼畜英語が終了しましたよー 色々な意味で。 最近、色々環境の変化がめまぐるしいです。 大学のジェンダー・セクシュアリティ研究の講演会とかで 知り合った人たちとか、研究所で知り合った人たちとか 色々な知り合いが増えました。 知り合いの知り合いが知り合いな世界ではありますが みんなおもしろくて濃い方々です。 そして総じてめちゃめちゃ賢い。 高校生の頃はこのブログしかこの世界と繋がっている窓は無かったけれど 今は顔をみて話せる知り合いが増えたのがとても嬉しい。 そしてクローゼット(性指向を公にしないこと)である限界を 凄く感じたのであります。 今年度だけでももう何回も自分がバラバラになるんじゃないかって思った。 自己同一性的な意味で自分の中で感じた限界だけじゃなくて 周囲からのプレッシャーを感じない訳じゃない。 実は先日、ひとりのひとにセクシュアルオリエンテーションがバレました。 バレた理由は単純でただ、カマをかけられてうっかり軽く認めてしまったってだけです。 あとはゲイダーが軽く誤作動したのも原因の一つです。 なんかネット上ででカマをかけられてから 詳しくは直接話させてくれっていう流れになったのだけれど。 それをきっかけに自分はすげー体調を崩してしまったのであります。 自分の全身を走る拒否反応をみて 「ああ、自分って全然自分を受け入れられてないんだな」って思った。 (にしても“自分を受け入れる“ってとっても上から目線だわw) 自分がセクシュアルマイノリティだとかマジで受け入れられない。 って言っていたら『自意識過剰』であるという素晴らしい助言を頂きました。 ですねー。 だって嫌なんだもん(涙) 好きな人にすっげー気を配っても相手は自分のこと視界にも入ってないってもう 嫌なのだー 何年間もぐちぐちと考えてきたけどやっぱ不条理。 少数派だからって戦わなきゃならないものが多すぎる。 世の中は不公平な物だって高校の時の塾の先生が言っていた。 彼女はホモフォビックな冗談をいっぱい言う人だったけど 時々正しいことを言う人だった。 そして相当タイプだった(違) じゃなくって、 自分のセクシュアリティがバレることがなんでこんなにも怖いんだろう。 なんで強くならないといけないみたいな風潮が強いんだろう。 バレた相手は「そういうの別に差別とかないから」みたいな お決まりの文句をくれたから、どうなることか本当に不安だったのだけれど ボディタッチの量さえ以前と変わらない。 多分、マジで気にしてない。 逆になんじゃーって思ってしまったけれど きっと世の中そんな物なんだと思った。 さっき「自分が受け入れられない」って書いたけれど 本当に受け入れられないのは「セクシュアルマイノリティだと周囲にカテゴライズされている自分」 あー。自分大好き症候群の末期症状ですね。 自分、どんだけプライド高いんだろうか… 「何が怖いの?」って聞かれたけれどもう全部怖いよ。 人と違うことも 社会でやっていけるのかってことも 強くならなきゃだめなのかってことも 老後のこととか 親はどう思うのだろうかとか 友達はどう思うのだろうかとか ほんとに女が好きなのかとか 自分は何者なのかとか 好きになった人のことを遠くから眺めているだけの現状とか ああなんて廚二なんだろうか。 リアルに廚二の頃は自分はバイセクシュアルなんだって思っていたし 何の疑問も持たなかったし、それが周囲と結構違うことなのだとは 思いもしなかった。だってそれが普通だったから。 ジェンダー・セクシュアリティの領域で会った人には あまり本名を言っていない。 名前を使い分けることで不安や恐怖を自分以外の何者かに着せているだけなんだろうな。 このブログを読んでいる人で、リアルで会う機会のある人は 本名を尋ねてもらえると嬉しいかもしれない。 でも本名をよびすてって嫌いだから呼ぶのは今のあだ名が嬉しいなー ってわがままでごめんなさい。 緩やかな統合を目指している今日この頃です。 じゃなくって、期末の勉強をしている今日この頃です。 っていうか、昼夜半逆転なので色々不安です。 自業自得ですが。ではおやすみなさい。 |
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